初詣に行く神社のしだれ桜と灯籠
心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん
前回の投稿で「特定の宗教や宗派を信仰していない」と述べました。しかし私は、神様や仏様の存在は信じているし、様々な神社仏閣へ頻繁にお参りしています。したがって、「信仰心のようなもの」は持っているのだろうと思います。
しかるに、この「特定の宗教や宗派を信仰してはいない、けれど神様や仏様の存在は信じている、だから信仰心のようなものは持っている」という感覚は、実際のところ、私だけでなく多くの人が持っている感覚ではないでしょうか。
そして、この感覚を持つ人に共通するのが、「神様に見られている」という意識だと思います。私も勿論(もちろん)、神様に見られているという意識を持っています。したがってこの意識ゆえに、悪いことをすれば罰(バチ)が当たる、神様や仏様の御心に叶えば御利益(ごりやく)がある、と思っています。
そしてこの「罰が当る」、「御利益がある」という思いは、必然的に、「人事尽くして天命を待つ」とか「至誠は神に通ず*」とか「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん**」といった考え方につながります。言うまでもなくこれらの言葉は、たくさんの人々に、生きる指針として受け入れられている言葉だと思います。
そうしてみると、私の、そして私以外の多くの人の、「まじめに生きよう」、「間違ったことはやめよう」という思いは、「信仰」から生まれているとは言えませんが、「信仰心のようなもの」から生まれているとは言えると思います。
* 私が初詣に参拝する神社の石柱に刻まれている言葉です。
** 菅原道真が太宰府に左遷される際に詠んだ和歌です。道真は没後に天神様として祀られます。
一緒に読んでください。