努力の中には



努力の中には奴が見えます。


 これからは、努力するという言葉を使わなくなる時代が来るような気がしています。少なくとも、努力するという言葉が褒め言葉ではない時代は既にやって来ていると思います。

 令和の時代は、才能や強運、財産や血統を「持ってる人」、いわゆる「ギフティッド」という言葉が褒め言葉です。いわゆる「持っていない人」は、最後まで敗者であるか、あるいは永久に弱者であるか、そのどちらかしかない。もし何らかの理由で成功すれば、その時に「持っている人」に変わる。そういう時代になっている気がします。

 「努力」の中には奴が見えます。「努」は「奴」が「力」を出すことです。だから「努力」には、奴=下僕(持っていない人)のイメージがあります。けれど、昭和の頃は、誰もが「持っていない人」でした。その平等意識の中で、欲しいものを手に入れられるかどうかは本人のいわゆる「努力」次第でした。だから、「努力している」という言葉は褒め言葉でした。

 けれども、「持っている人」が圧倒的な強者である今は、「努力している」という言葉は褒め言葉にはなりません。なぜなら、もし努力したなら、自分は持っていない人であると認めたことになってしまいますから。だから令和の今は、努力できない時代になったと言って過言ではないでしょう。

 「努力」に替わる新しい言葉が必要になると思います。



いっしょに読んでください。 

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