友を作れ、仲間を増やせ
中学校の同窓会がありました。還暦を過ぎた爺さん婆さんの集まりでした。言うまでもなく、会場に入った者から順に15歳の自分に戻ってゆきます。幼い頃に時間を共有した者たちの集まりです。お互いに、誰に何が言えて誰に何が言えないか、わかっています。理解と安心に基づいた関係がすぐに復活しました。
この関係を、どう説明すれば良いでしょうか。思うに、友として信頼しているという言い回しで彼ら彼女らとの関係を表現するのは難しいです。でも私は彼ら彼女らを、よく理解しているとは思います。なんと言っても、幼い頃に時間を共有した者たちですから。
思うに、彼ら彼女らが「とも」であることに間違いはありませんが、おそらく友というより伴(とも)という方が正しいのだろうと思います。幼い日々を一緒に過ごしてきた仲間です。良き道連れの関係というと適切かもしれません。そうしてみると、私は彼ら彼女らを、そして彼ら彼女らは私を、伴(とも)として互いに認め合っている、と言えそうです。
さて話は変りますが、宮崎駿監督のアニメ映画「君たちはどう生きるか」が先日テレビ放映されました。私は映画館でこの映画を一度見ています。映画館では、ラストシーンの「友を作れ、仲間を増やせ」(なぜかテレビ版ではこのシーンがありませんでした…私の記憶違いだったのかもしれません)という言葉を、宮崎監督の「君たちはどう生きるか」のアンサーとして受け取りました。そのためかテレビ放映の中頃で、アオサギが眞人に向かって「君は友達でもないし仲間でもない」と呟くシーンに目が留まりました。
私に記憶違いがあったかもしれません。けれどもこの「友を作れ、仲間を増やせ」という言葉は、映画館で映画を見て以来、私の記憶にとどまりました。そして「友と仲間との違いは何だろう」という問いを私に投げ掛けたのです。
先日の同窓会では、この問いを抱えていたからこそ、「幼なじみ」を「友」ではなく「伴」=「仲間」=「道連れ」として捉えることができました。そしてこの理解を踏まえる時、「友を作れ、仲間を増やせ」という言葉において、友には「作る」という動詞を用い、仲間=伴には「増やす」という動詞を用いる理由を納得することができます。
今まで困難でなかった時代はないし、これからも困難がなくなってしまう時代は来ないと思います。困難がなくなってしまうことがないのであれば、人にはそれに立ち向かう力が必要です。それが、友であり仲間=伴です。たとえこの映画のラストシーンには「友を作れ、仲間を増やせ」という言葉がなかったとしても、この言葉を映画のメッセージとして受け取ろうと思います。