開設一周年



第1投稿「知命とは」は、私にとって特別に思い入れのある投稿です。


 【言葉の記録】は、サイトを開設してから1年となりました。お読みくださっている方々に、心より御礼申し上げます。

 【言葉の記録】の第1投稿は、「t1 知命とは」です。第2投稿が、「h1 而立とは」です。この二つを2025年3月24日に投稿したことで、【言葉の記録】は始まりました。おかげさまでこの二つの投稿は、グーグル等で検索すると現在は思いのほか上位に表示されています。

 第1投稿「知命とは」で取り上げた〈問い〉は、30歳代半ば頃からの疑問でした。投稿に記したような答えを得たのは50歳代後半で、その数年後に、友人に披露する機会に恵まれました。そしてこのことがサイト開設の発端となりました。

 したがって第1投稿「知命とは」は、私にとって特別に思い入れのある投稿です。

 【言葉の記録】で紹介したい言葉はまだたくさんあります。今後も皆様にお読みいただけるような投稿を心がけますので、よろしくお願いします。



ぜひ読んでください。



追記:
「知命とは」の注に掲載した岩波文庫「論語」の注の注釈者である金谷治先生は、「『知命』につて」というタイトルで最終講義を行いました。この講義録が文庫版で数年前に刊行されました。下記の書籍です。興味がある方は是非ご一読ください。

死と運命 中国古代の思索 金谷治 法蔵館文庫2022.3.15初版発行
「知命」について ――人間存在の自覚―― (p154~p188) *


* 参考までに「死と運命」の本文より3か所を抜き書きします。

① p154 ……あの「知命」であります。本日は最終講義ということですが、要するにそのことばの解釈と申しますか解説に加えて、多少私の体験を交えたお話をしたいと考えております。

② p174 孔子の場合、「天」という人間の力を越えた大きな存在によって、自分が枠づけられているということは、同時に自分の分際を与えられているのだと自覚したわけで、これが「天命を知る」ということとかかわってきます。

③ p187 人間らしくというのは、自分なりに考えられる、枠づけられ、あらしめられている人間としてのことです。そうした人間として努力していくだけのことです。そして、その努力の結果がどういうことになろうと、それはそれでやむをえない。ちっぽけな存在だからしかたがない。それを、人間どうしの小さい背比べで他人を羨んだり、世間を恨んだりするのは、愚かなことです。孔子の考えがこの通りであったかどうかはもちろん確実には言えませんが、現在の私はまあそんなことを考えているのです。

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