高野山 壇上伽藍の逆指しの藤 2024.5.11撮
藤の花には鬼を消す力がある
アニメ「鬼滅の刃」における「なぜ鬼は藤の花が苦手なのか」という問について一つの解答になっていると思います。今回は文章が長くなってしまいました。最後まで読んでいただけたらありがたいです。
幸田文さんに「藤」という随筆があります。この随筆は2017年の東大の入試で出題されて有名になりました。また高校の文学国語の教科書(大修館書店)にも採用されています。
随筆の前半では、幸田さんが草木に興味を持つようになった理由を説明します。理由は三つあって、一つは子どもの頃の居住環境、二つ目は父・露伴の教え、三つ目は姉への嫉妬であると述べます。嫉妬が理由なの?と思わせますが、優秀で父の愛を独り占めにしてしまう姉に対して、幸田さんには強い嫉妬心があったようです。姉に負けまいとして植物の勉強をするけれど勝てなかった、父は賢い姉ばかりをかわいがった、ということです。姉は早世しますが、幸田さんは父・露伴に対して「その子(姉)に死なれてしまって気の毒である。」と言います。ちょっとびっくりします。この表現からは、姉の死を悼む気持ちは全く伝わりません。
後半は、姉が早世した後の父と幸田さんの草木にまつわる記憶が書かれています。その中で藤の花が出てきます。父と並んで藤を見た幸田さんは「その美しさはない。沢山な虻が酔って夢中なように飛び交う。羽の音が高低なく一つになっていた。しばらく立っていると、花の匂いがむうっと流れてきた。…ぼんやりというか、うっとりというか、父と並んで無言で佇んでいた。飽和というのがあの状態のことか、と後に思った…」と表現しています。そしてこの状態について父は「ものを思うにもなく思わぬにもなき境」と過去に書いていたと続け、「思うたびに、あわい愁いがかかる」という一文で随筆を終えます。言われてみれば確かに、藤の花を見ているとうっとりとした感じが心に満ちて、思考が停止してしまったような状態になります。
とは言うものの、「藤」について書くならば後半だけで良いはずです。なぜ、前半が必要なのだろうという気持ちが強く残ります。私の場合、「なぜ幸田さんは、藤の花の話の前に嫉妬の話を書き加えたのだろう?」という疑問がしばらく解消されませんでした。
しかるに、「藤の花」というと、アニメ「鬼滅の刃」が思い浮かびます。この夏に無限城編第一章が公開されたのでご覧になった方も多いと思います。このアニメの中で、鬼は藤の花を嫌います。なぜ鬼は藤の花が苦手なのか、実は私はこのアニメが初めて公開されたときからその理由を考え続けています。
そしてこの夏、私の中でこの二つの疑問が合体しました。そして、なんと両方の疑問が一挙に解決してしまいました。
鬼滅ではさまざまな鬼が登場しますが、一般的に日本で代表的な鬼と言えば「般若」です。般若は女性の嫉妬心が怨霊化したものとされています。幸田さんは、嫉妬ゆえに姉の死を素直に悲しめない自分の中に「般若の鬼」を感じていたのではないでしょうか。いつも自分の心のどこかに消すことのできない嫉妬心があって、その嫉妬から生まれる鬼の自覚に心を痛めていたのだと思います。
けれども、父と並んで藤の花を見たとき、そして藤の花の匂いが作り出す飽和状態に包まれたとき、一時的に幸田さんから嫉妬心が消えてしまったのだと思います。そしてその結果、幸田さんは鬼の自覚からの解放を感じたはずです。なぜなら、うっとりとした飽和状態が思考を停止させてしまえば嫉妬心もなくなります。そして嫉妬心がなくなれば心の中の般若の鬼も消滅してしまうことになるからです。つまり、藤の花には鬼を消す力があるということになります。
鬼滅ではさまざまな鬼が登場します。猗窩座も妓夫太郎も累も響凱も、人間として生きていた時の恨みや悲しみに執着しているがゆえに、鬼として存在しています。この点は四谷怪談のお岩さんも、番町皿屋敷のお菊さんも同じです。この執着心が鬼としてのエネルギーになっています。したがって、この執着心から解放されてしまえば、鬼は存在するためのエネルギーを失ってしまい、自然に消滅してしまうことになります。鬼滅の刃では、首を切られた鬼が消滅する時には、人間であったときの恨みや憎しみから解放されて消滅します。猗窩座のラストシーンも雄弁にこのことを物語っています。
藤の花の匂いが生み出す飽和状態は、人間を執着から一時的に解き放つことができます。そして、この執着からの解放は鬼を消滅させてしまいます。ですから鬼は、自らが鬼として存在するために、藤の花には近寄ってはならないのです。
鬼は現世への執着から生まれます。そしてこの執着から解放される時、鬼は消滅します。それが、いわゆる成仏をする、ということなのでしょう。
以上で「鬼と藤」は終わりです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
追記1:「藤」という随筆は「(父と並んで藤を見た時のことを)思うたびに、あわい愁いがかかる。」という一文で終わります。「幸せの記憶」がなぜ「あわい愁い」を導くのでしょうか。…思うに、幸田さんの幸せの記憶は、消すことのできない嫉妬の記憶につながっていたからだと思います。
追記2:日本画家の上村松園さんに「焔」と言う作品があります。能楽で般若の面をつけて演じられる源氏物語の六条御息所の生霊だそうです。この生霊の着物に白と紫の藤が描かれています。鬼と藤はこんな所でもつながっているようです。