流星



十一月の凍った星座から、一條の青光をひらめかし、忽焉とかき消えたその星の孤独な所行ほど、強く私の青春の魂をゆり動かしたものはなかった。


 この言葉は、「流星」という井上靖さんの散文詩にある言葉で、金沢市にある石川近代文学館の詩碑に刻まれています。この詩の原型は「北国」という井上靖さんの詩集の中の同題の詩で、詩碑の詩とは少し異なります。詩碑に刻まれた詩は次のとおりです。


流星

高等学校の学生の頃、日本海の砂丘の上で、ひとりマントに身を包み、仰向けに横たわって、星の流れるのを見たことがある。十一月の凍った星座から、一條の青光をひらめかし、忽焉とかき消えたその星の孤独な所行ほど、強く私の青春の魂をゆり動かしたものはなかった。

それから半世紀、命あって、若き日と同じように、十一月の日本海の砂丘の上に横たわって、長く尾を曳いて疾走する星を見る。併し心打たれるのは、その孤独な所行ではなく、ひとり恒星群から脱落し、天体を落下する星というものの終焉のみごとさ、そのおどろくべき清潔さであった。 
                              井上靖


 初めてこの言葉に出会ったとき、「忽焉とかき消えたその星の孤独な所行ほど」と言う言葉に釘付けになりました。若い日の私は、この言葉をしびれるほど美しく感じました。そしてまた、「終焉のみごとさ、そのおどろくべき清潔さ」と言う言葉に強く憧れました。このように美しく自分の人生を閉じたいものだと思いました。

 どうあれば「孤独な所行」と言えるのか。「おどろくべき清潔さ」に値するのか。

 還暦を過ぎた今「おどろくべき清潔さ」はこれからの私の実践課題となりました。「孤独な所行」とはどのようなものなのかについては、今もまだ答えが見つかっていません。もし見つけたなら、その時は必ず、「言葉の記録」に「孤独な所行とは」というタイトルで投稿します。

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