努力する姿は見せたくない
去る6月3日に長嶋茂雄さんが逝去されました。言うまでもなく、功績の大きさ、人柄、人気、すべてにおいてスーパースターでした。ご冥福をお祈りします。
昭和のスーパースターと言えば長嶋さんの他に石原裕次郎さんや美空ひばりさんが思いつきます。令和の現在ではさしずめ大谷翔平さんでしょう。この人たちに共通することは、努力するイメージが似合わないことです。
なぜ、スーパースターに努力するイメージは似合わないのでしょう。それは、努力の中には奴(やっこ)が見えるからだと思います。スーパースターに奴(やっこ)=下僕(弱者)のイメージはありません。
しかるに追悼番組で長嶋さんの練習風景の映像が流れました。そしてその映像を背景に、アナウンサーが「努力する姿は見せたくない長嶋さん」と言いました。一瞬のことだったので、それが長嶋さん自身の言葉なのか、アナウンサーが長嶋さんを評した言葉なのか、判断できませんでした。
なぜならその時その判断をするより先に思いました。長嶋さんに努力するイメージは似合わない…と。でも今日は、「努力する姿は見せたくない長嶋さん」という言葉が新鮮で味わい深く、かっこ良く聞こえる…と。
そう感じたのはおそらく私だけではない、と思いたい。アナウンサーも、おそらく番組を見た多くの人も、そう感じたはずだと思いたいです。長嶋さんも人知れず努力を積み重ねたのかもしれない…と思えば、長嶋さんはぐっと自分に近づいてきます。そしてまた、ぐっと遠ざかってゆきます。
この、近かそうに感じさせてまたぐっと遠くなっていくところが、スーパースターです。テレビの映像を見つめながら、アナウンサーの解説を聞きながら、ああ、カッコいいなあ…と呟やいてしまいました。
いっしょに読んでください。